過去を振り返ってみて自分めちゃくちゃキモオタだったと思う。
友達と遊ばずに家の中でずっっっと絵を描いてて、しかも自創作。周りからキモオタ扱いされてた当時は意味がわからなかったが振り返ればそうだった。私はキモオタだった。まともに話す相手も生粋のオタクしかいなかった。
今は恋人もいて、絵もたま〜に描くぐらいで当時に比べたらキモオタ度が減った。なのに、キモオタの頃の方が何倍も努力してた。
「一日一枚しか絵を仕上げられないから毎日描くしかない」って本気で思ってたし描いていた。
今、振り返ってみて、怖くなった。
キモオタの頃の方が今の何倍も苦しかったし人間の生活ができてなかったのにその方が良いとさえ思った。
今更人間になってどうするんだ?って。
途中で辞めたんだ。いつの間にか自分は筆を折ったんだ。怖い。何も努力できなくなってる自分が怖い。あの頃は努力だなんて思わなかった。
私の周りは漫画や絵を描くオタクばかりだったから私は底辺中の底辺。毎日描いても下手の横好き。もっとできる人はいっぱいいて、毎日競争で辛い。オタク同士だけど自分の話を見てもらいたい同士だから聞いてもらえてない。全部上っ面の関係。何もかも投げ出したい。
私は人間関係を選んだ。
あまりにも辛かった。あてもなく自分の話を聞いてもらえる人を探した。何人も何人もぶつかって、そしたらちゃんといた。絵を描かない人だけど。人間関係にかまけている間に私は絵を描かなくなった。人と関わる方が心安らいだ。
私は今までまともな関係を築けていなかったんだと今、認識した。ずっと心を粉にしていた。誰かが自分を大事にしてくれるってこんな感じだと思わせてくれた。
そんな時にふと振り返った。私は何者だ?
何者でもない私を受け入れてくれる相手がいる。その相手も何者でもない。何者でもないことに卑屈になったりしない。この安心感が心地よい。
毎日同じ時間に起きて、仕事して、買い物して、料理して、お風呂に入って、寝る、その繰り返しは無理を許さない。
キモオタの頃のような寝る時間をズラして絵を完成させる昼夜逆転、料理はせずに時間関係なくお腹が空いた時にインスタントを食べる不摂生、人間関係は時間の無駄だと割り切る、そんな生活はできない。したら崩壊する。
でも、きちんとした時間管理で絵が描けないんだ。
この1年間、絵に挑戦した。人間関係が安定して「復帰しよう」と思ったんだ。でもできない。規則的な生活は絵を遠ざける。描かないと描かなくなる。今はそうならないように何でもいいからチョロっと描く、それぐらいしか対策ができない。私の周りから絵を描く人はいなくなった。対抗心を燃やすこともできない。何もかもが絵から遠ざかっていた。絵を描くには、絵を考える時間。絵を描く時間。絵を選別する時間。もう一度作り直す時間。絵を見てもらうために仲間を作る時間。全部まとめて必要だった。バラバラにできない。ある程度ルーティンが必要なんだ。それには24時間以上必要。そうじゃないとまともに絵を描けない。
馬鹿だなあ。
そこまでしても伸びない絵に時間を投下して。
何にもならない絵に何年も費やした。
あの頃に戻りたいわけじゃない、むしろ逆。でも描きたいんだ。情熱が殺された平音の夢をまだ見ている。